黒い錠剤、服すべからじ(テキスト調整版)
これはSoftware Should Work 2026(訳註:以降『ソフトウェア率なく動くべし』)でお届けした講演のブログ投稿版です。 このような楽しいカンファレンスを運営していただき一発成功してのけたIsaac Van Doren氏に謝意を――ミズーリ州コロンビア市への熱意にみな魅了されました。
第一部:錠剤
この講演をしたとき、場を温めるため、1999年の映画である『マトリックス』が好きな方はいますか、と聴衆の皆さんに尋ねました。 ざっと半数が手を挙げました。 しかし虚を突いたのはそれに続く質問、「この映画を一度も観たことのない方はいますか」でした。 10人の勇敢な若者が手を挙げたことに聴衆は息を呑みました。
この映画には、とある象徴的な瞬間があり、我らが英雄、Ted "Theodore" Loganに、二者択一を示されたところです――赤い錠剤か青い錠剤かと。
その問いは、本質的には「不愉快な真実を知りたいか」というもので、青い錠剤は「いいえ」を、赤い錠剤は「はい」を意味します。
聴衆の皆さんにとって、答えは明らかです。 主役が青を選べば、何も起こらずクレジットはロールされたでしょう。 しかしこの隠喩はあまりにも力強く映画撮影術にも訴えるものがあったために、私達の文化と言語に影響し、映画のことを聞いたことすらない人々が「based and red-pilled」なる慣用句を口にするに至りました。
「黒い錠剤」についてお話しましょう。
これは「インセル (incel)」の文化から来ています。 この単語は「不本意な (involuntary)」と「独身者 (celibate)」の複合語です。 要するに、人付き合いのままならない若い男性達がインターネット上で一緒になって不平を言い始めたのです。 ここまでは、まあいいのですが、残念なフィードバックの循環が持ち上がりました。 その空間を、ブレインストーミングや、励ましや、メンタリングなどといった、生産的なやり方で使っていた者達は、えてして行いを改め、成熟し、問題に取り組み、そして、遠慮なく口に出してしまえば、ヤり遂げたのです。 その時点で、彼らは固執することも悲嘆にくれる気もなくなったので、去っていきました。 自然淘汰でした。 したがって、新しく、感じやすい若者がコミュニティに入ってきたとき、迎え入れられた先には、惨めで、望みのない、非社交的な敗者しかいませんでした。 時は過ぎその文化はあまりにも毒を帯び、受け入れられた知恵というのが、本質的にはこうなりました。 「諦めろ。出来レースだ。お前にできることなんて何もない。横たわり朽ちはてるよりないんだ」
手短かに言えば、「黒い錠剤」とは虚無主義に鬱が混ざり怒りが混ざりしたもので、最悪の場合には自殺や学校での銃射事件の結末につながるのです。
私はほとんどこの罠にはまるところでした。 経験からお話しすれば、若い男として付き合いの場面に踏み込むことは絶望的なまでに困難になりえるのです。 保守的なキリスト教徒の両親に育てられたために、快く自信を持って付き合いをするために世界について頭に刻み付けることと振り払うことが、あまりにも、あまりにも多かったのです。
ひょっとするとこう聞くと驚かれるかもしれませんが、この循環から抜け出す助けになったのはナンパ師の話を聴くことでした。 振り返れば、こういう連中が概して振り撒いていたことは、それ自体が虚無主義で、ひとを操る毒々しさであったと思いますが、その内の一人が言った或ることに私は即座に鍵であると気付きました。 「ナンパ」の成果に集中すべきではないと言ったのです。 実際に打つべき手は、その言うところでは、魅力的であることに取り組むことであって、それは一般に、みんなに対してそうすることなのだと。 友愛的な友人も含めて。 全員が君の周りにいたいと思わせるようにしてみるべきで、なぜなら本気で気に掛けているのだから。 意識的に言うことを聴く。 笑わせる。 やり取りをする人々に有意味な経験をもたらし、君のことを覚えさせ今後のイベントに誘わせる。 全員に良いひとときを過ごさせるため注力する。 こうすることで、恋愛感情の芽生える機会のある状況がもっと創り出されると。 天才ですね!
ここで覚えて帰っていただきたいことは、子供達は大丈夫だということです。 たとえ悪い考えにどれだけさらされようとも、良い考えもまた混ざっているなら、答えを見付け出すでしょう。
このことを少し卑近な方へ近付けましょう。
こちらはCory Doctorow氏です。 彼は「メタクソ化 (enshittification)」という用語を捻り出した人物です。 しばらくElectronic Frontier Foundationで働いたのち専業の作家になりました。 2019年に「Radicalized」と呼ばれる短編を発表しました。 物語はとあるオンラインフォーラムを中心に据えており、そこでは健康保険会社にハメられたために一緒になって悲嘆にくれる人々がいます。 こちらの抜粋に聞き馴染みがあるでしょうか。
元アルコール依存症者のためのフォーラムには、何年も何年も素面をしてきた年配の長の一大集団がいる。 賢明であり、穏やかな口調であり、依存症の後の人生の存在証明である。 ずるずると酒浸り自らをなじる者がいれば、そこには必ず酒気の抜けきった長老がおり、自身の話を、路頭に迷い、子を失い、四肢を失い、なおも立ち直ったという話を、語れたものだった。
「ガンなんてかっとばせ」にはそういう人々はいなかった。 烈しい悲痛を乗り越えた人々は「そのフォーラム」を去ったが、その怒気の文化に追いやられたのだ。 とどまった人々はおのが怒りのどつぼにはまり、酒瓶を手放すことを拒む酔っ払いのようにしがみついて。
怒りが手に負えないところ、おののくところまできたら、「そのフォーラム」の長老はたしかに助けるだろう――これは正しい反応、唯一の反応であり、必ず、決して良くなりはしないのだと説明するであろう。 これがこれからのあなたの人生なのだと。
Doctorowがこの虚構の短編を発表して5年後、米国の健康保険会社のUnitedHealthcareのCEOの実の命が銃射に斃れ、弾丸に刻まれていた言葉は「拒め、守れ、誓え」でした。
第二部:ソフトウェア率なく動くべし
このようなカンファレンスの主目的は技術的なものです。 その中核にあるのは、それが「安全地帯」であって、参加者は既にソフトウェアが率なく動くべきであり、速くあるべきであり、利用者の体験を優先すべきであることに合意しており、だからこうしたことをよりよく達成するためにコツを、裏技を、実演を、研究をお互いに共有しさえすればいいのです。
しかしここでメタ的な考察を怠れば、私達の努力は徒労です。 「ソフトウェア率なく動くべし」なるフレーズの暗示から、しばしば現実世界においては、それが動いていないのだとわかります。
ですよね?
なぜでしょう?
何がソフトウェアの動くことを引き止めているのでしょう?
問題は単なる無知でしょうか?
プログラマによるプログラミングの頑張りが足りないのでしょうか?
ソフトウェア工学分野が黎明なのでしょうか?
頑健なソフトウェアの作り方をまだ発見していないのでしょうか?
言わせれば、私が生まれる前にすら人類は頑健なソフトウェアの作り方を発見していました。 以降ソフトウェアの全般的な頑健性と効率性は低下してきたといって過言ではないでしょう――ハードウェアが桁違いに高性能になったにも関わらず。
どうしたことでしょうか?
あなたには、読者の皆さんには、従業員や契約者として働く会社でソフトウェアをより良くしようと試み、経営陣に却下されたことはあるでしょうか?――ビジネスには他にプライオリティがあるのだ、と。
お話ししている関係性がどんなものかお分かりでしょう。 経営陣はトンガリ頭の上司で、あなたはDilbertです。 経営陣はRusty Ventureで、あなたはBrock Sampsonです。 経営陣はMichael Scottで、あなたは……『The Office』の他の登場人物の誰かです。
現実では、私達ソフトウェアエンジニアは既にソフトウェアがうまく動くようにしたいという強い衝動を抱いていますが、非技術的な妨害があるのです。
善意の不服従についてお話ししましょう――受益者が権威でもある反抗の一形態です。
許可を請うより恩赦を乞うこと。 SSW 2026でこの講演をしたとき、(私を含め)聴衆の約75%がこれをしたことがあると白状しました。
秘書に徹すること。 普通は仕事でした良いことについて功績を主張したいものです。 しかし、時々業務を円滑に進めるために必須なことを完全な秘密裡に行うことがあり、これは経営陣が見れば実のところ止めてくると知っているからです。
着想を与えること。 経営陣との会議があり、あなたが注意を引き付けた問題に対して、革新的で、目ざましい解決策を彼らが思い付いたように騙すことです。 もちろん、この「革新」が、会議中に注意深く彼らの頭に植え付けたまさにそのものであることなど、全き偶然です。
目を逸らさせること。 経営陣は何かにつけ口を挟みたがるものなので、何か重要な仕事をするときは必ず、より目にあだなよう意図的に生み出した重要度の劣る仕事がくるよう時期を見計らいます。 経営陣はその餌に食い付き些細な気晴らしの仕事に巻き込まれるため、重要な仕事はそっとしておかれます。 それは子供にフィッシャープライスのおもちゃのオーブンを与え、熱いコンロでふざけ回って火傷しないようにするようなものです。
「あひる」。 経営陣が特定し取り除くことで功績を主張するような、明らかな問題を意図的に置いておき、これもまた重要な仕事をそっとしておいてもらいます。 一説によれば:
『Battle Chess』の女王のアニメーションに取り組むアーティストがこの傾向に気付き、革新的な解決策を思い付きました。 女王のアニメーションを彼が一番だと感じる通りにし、一つ追加しました――すなわち、女王にペットのあひるを与えたのです。 女王のアニメーションの全てに通じてこのあひるを動かし、隅のほうでばたばたさせました。 それが「本物の」アニメーションと決して重ならないように細心の注意も払いました。
最終的に、女王のアニメーション一式を製作者の校閲するときが来ました。 製作者は腰掛けて全てのアニメーションを見ました。 それが終わったとき、アーティストを振り返って言いました。 「いいね。 一つだけ――あひるは取り除いてくれ」
もちろん、こうした面白おかしい手口の全ては、辞退や、衝突や、受容のいずれかへの代わりとなる克服療法です。 これら全ては、劣後するソフトウェアを作成する運命を受け入れる他は、賭けなのだということを考えてください。 ずる賢くいると、見咎められて譴責される危険を冒し、解雇手当なくクビになる可能性もあります。 辞職すれば、労働市場での抑圧と不安に耐えることになります。 経営陣と衝突すれば、静かな報復や社内での政治的な強みを失う危険を冒します。
それでは労働市場がどうこの葛藤に影響するか考えましょう。 供給/需要の比率がソフトウェアエンジニアに有利なとき、より強い交渉力を享受します。 クビになることを恐れるのではなく、経営陣が私達の辞職を恐れるのです。
コンピュータが最初に発明されたとき、同業のプログラマの希少性から著しく強い交渉力が引き出されていました。 しかし今や自由市場が追い付きつつあり、他の産業の労働者と同じ苦境に直面しています。 私達が学びつつあるのは、ソフトウェアの質が維持されていたのは、ソフトウェアエンジニアの意志と労働市場における、たまさかの強い交渉力の組み合わせを通じてのみだったということです。
第三部:主体性
これはトランジスタ――現代の電子工学の基礎単位です。
ここでの鍵となる概念は、それが自動化されたスイッチであることです。 ベース端子へのほんのごくごく少しばかりの電圧により、比較的大きい電流が他2つの端子を通うかどうか制御されるのです。
私達は実質的にこうしたことを崇拝しています。
それが美しいのは、超微細な度においてコンピュータが文字通りどのように動くのかであるとともに、超巨視な度においては比喩的に何をするものなのかでもあるからです。弱きが強きを操ることによる機構であり――労せずしての意図の示唆によりありとあらゆる量の力が揮われる装置なのです。
しかし誰が、「真」ないし「偽」がベース端子に送られるかを決めるのでしょう?
ソフトウェアは誰に仕えるのでしょう?
これは私が、技術の通でない人々にちょっとばかり通になっていただくために手解きしてさしあげたいことです。
例えば、コンピュータでブラウザを走らせるとき、文字通りそれは「ユーザエージェント」と呼ばれます。 ブラウザは私の代理に動いているのです――私の権益に仕えており、私が開くウェブページのそれではありません。 これが、ウェブサイトはそうしてほしくないにせよ私がAdBlockを使える理由、それらに指一本触れられない理由なのです。
DRMはエンドユーザに対して能動的に敵対的なソフトウェアの一例です。 DRMは、利用者自身のハードウェアをサードパーティの権益に仕えさせています。 DRMは間接的に消費者の権益にあたるのだと主張されるかもしれません、著作権の保有者が著作権付きの作品の閲覧を許可する唯一の理由なのだからと。 私は間接の権益を、消費者のことを話しているのではありません。 ソフトウェアのエンドユーザを、直接それに触れる人のことを話しているのです。
コンピュータは常に、それに直接触れる人へ仕えるべきです。
私がいつも興味深く思っていたのは、アイザック・アシモフが以下を彼のロボット工学の法規に組み込んでいたことです。
- ロボットは人間を傷つけてはならず、あるいは不活動を通して、人間が危険に至ることを許容してはならない。
- ロボットは人間により与えられた命令に服従しなければならないが、その命令が第一条と競合する場合はこの限りでない。
- ロボットは自身の存在を保護しなければならないが、そうした保護が第一条ないし第二条に競合しない限りにおいてである。
アシモフの科学虚構の宇宙では、危害を防止するために厳密に必須である場合を除き、ロボットは人間の階層的な権力構造への参加をきっぱりと免除されています。
例えば、警察が非暴力的な犯罪に係る容疑者の逮捕のための令状を得て、ロボットに、その人物を逮捕するよう言ったとして、ロボットが扉に到着したとき、容疑者はただロボットに失せろと言えばよく、そこでロボットは「もちろんです、お邪魔しました」と言うでしょう。
同じ概念の別の表現がこのミームです。 くだらない記述ですが基本的な理想を表現しており、つまり機械は人間に仕えるべきものだということです。 これは精神の水準で踏み越えてはならない一線なのです。
翻って現代の現実世界で見られるもの、それは強制のために利用されるコンピュータです。 私達は聖なる装置――トランジスタ――を手に取っていつも通り制御端末を操作します。 しかし機械の力を揮うのではなく、同胞たる人間をトランジスタに縛り付ける禁じられた錬金術を施し、あたかも人々が魂なきロボット、私達の言い付けをすることが目的なる物かの如く操り、病的で、ひずんだこの空想の恣にさせているのです。
目にする至るところで、強制ウェア (coercionware) の例を目にできますが、それは人間の心を命令セットアーキテクチャとして扱うことを試みるものです。
機械仕掛けのトルコ人形。 これがまさにぴったりきます。 人間を機械として直接扱い、最低賃金より少なく支払うビジネスモデルです。
ボスウェア。 まなじりからはらわたの動きに至るまでわざわざ事細かに従業員を制御しようとするもの。
侵入する広告。 どの程度効果的かの如何によらず、文字通りのマインドコントロールです。 しかし効果的でない広告であれ、思考パターンを妨げ注意を盗み、主体性を奪うのです。
プッシュ通知。 利用者が具体的かつ意図的にそうした機能を有効にしない限り、それは彼らの行動をプログラム的に制御するためのみならず、応諾に要する時間を削減するための骨折りです。
A/Bテスト。 成果物を意図性よりも優先するものです。 利用者の体験をどう設計すべきでしょうか? ご心配なく、ただクリック数と収益を最大化するのです、たとえそれがダークパターンに行き着こうとも。 実際、こういう場合へのもっともらしい言い逃れを供します。 すなわち、赤いボタンによってより多くクリックされるのは、利用者へ潜在意識的に恐怖を注入するから、かもしれません。 ただ、これを意図的にしている明らかな証拠はありませんがね、と。
YouTube。 コンテンツ創作者と視聴者はともに「アルゴリズム」により制御されています。 コンテンツ創作者はアルゴリズムの泡沫の嗜好を永遠に追い掛けるよう強いられ、しばしばそのコンテンツの高潔さを引き換えにしています。 現代のYouTubeのサムネイルがこのような見た目に進化していることに、これまでに気付いたことはありますか? 一方で視聴者の側にあっては「食通から極右への直通」(訳註:原文はCrunchy。 グラノーラに因んだ造語で、健康的な食生活への指向を含む多岐にわたる文化的な慣行を指します)のようなまったくもって筋の通らない概念があります。 こんなになっちまうたあ、いったいぜんたいどんなクトゥルフ的な地獄の扉を開けちまったんだ?
AIエージェント。 小手先の引っ掛け。 利用者に仕えるよう装ってはいますが、実際に仕える主体性とは、そのモデルとそれを取り巻く閉鎖的なソースのソフトウェアを制御するAI企業のそれなのです。 ソースコードを制御していないなら、あなたの制御下にないのです。
ダークパターン。 これらはただただあけすけに強制的で、あまり書くこともありません。 コンピュータの利用者がこの完膚なきまでの敵意に日常的に寛容である度合いには鳥肌が立ちます。
ドゥームスクロール。 これはコンテンツのアルゴリズムと無限のスクロールを使って閲覧の時間を最大化するソフトウェアです。 利用者を画面に貼り付かせて選ばれたコンテンツを消費することに慣れさせるのです。 はっきりさせておくと、ほとんどの人々が「ドゥームスクロール」と言うときは悪い習慣のことを話しており、例えばある日はFacebookを使いすぎた、といったものです。 私が書いているのは、Facebookの利用者に接するソフトウェアが分類上、根本から強制的であるということです。 脳で走る任意コード実行による悪用のようなものです。 下へのスクロールはプログラムカウンタであり、飛び出すコンテンツがインストラクションなのです。
これによる奇妙な副作用とは、ちょうどコンピュータのように、脳がハッキングされうるという意味です。 アルゴリズムにより選ばれるコンテンツはソフトウェアを提供する企業に仕える意図があるとはいえ、私達の脳を悪意ある第三者にも脆弱なまま放置しているのです。
これは2017年1月に国家情報長官室 (the Office of the Director of National Intelligence) からの引用で、FBI、CIA、NSAの成果の要約です。
ウラジーミル・プーチン大統領は米国の大統領選挙を狙い2016年に影響力の工作を命じた。 ロシアの目標は米国の民主的な処置への大衆の信頼を失墜させ、クリントン国務長官を誹謗中傷し、その当選可能性と大統領職を得る可能性を損なうことだった。 我々はさらにプーチンとロシア政府がトランプ氏を大統領として選出することを明白に贔屓する態勢が形成されていたと評価する。 我々はこれらの判断に高い確信を持っている。
あなたの政治的な傾向がどうあれ、民主主義を重んじるなら、これは憂慮すべきです。
使われた筆頭の方法論は、州により資金提供されたトロールファームが関与するソーシャルメディアの工作でした。 私達は頭をハッキングされたのであり、その脆弱性はソーシャルメディアの操作的なソフトウェアの悪習に根付くものであり、そしてその脆弱性はまだパッチが当たっておらず、今なお活発に悪用されているとしても過言ではないのです。
何人もその修正に着手してさえいません。 明らかにこいつは違います。
思うに、Facebook上の誤情報が選挙に何らかの形で影響したという考え方は、かなり狂っていると思う。
年を追うごとに、コンピュータを愛し人に共感できる人間になることは厳しくなっています。 ソフトウェアが人類のためにできたであろう潜在性と眼前に形成されつつある荒涼たる現実との対比を見ることは憂鬱なものです。 絶望に感じることもあります。 たしかに物事を違ったものにしたいけれども、実際にできることがあるでしょうか? 毎日「代表者に電話」するよう頼まれたり嘆願に署名したり次から次への非常事態に対処しているように思われます。 私達は常に陣地をすり減らし、一度たりとて取り戻せはしていません。
「疲れましたよ、課長」
私達の主体性は全面からの攻撃のさなかにあり、社会のより多くがソフトウェアと統合するようになるにつれオプトアウトする能力さえ失いつつあります。 私が友人のグループ全体と連絡を取らなくなったのはイベントの組織づくりをもっぱらDiscordでするようになったからです。
服従が平穏を提供するように、黒い錠剤は安らぎを提供します。 黒い錠剤を服すこととはコンピュータの魔法から手を引き、あれらの抑圧に屈服することです。
卑近に目にしてきた黒い錠剤の服用に注意を呼びかけたいと思います。 ここで明々白々にしておきますが、要点は詰ることでも恥じることでもなく、共感することです。 最後の1つであれ。 これらの例で克服を試みているこの非常に真に迫る感覚とは、何かが間違っているということです。
初歩的なところから始めましょう。
「コンピュータは間違いだったんだ。」
はぁ。 仲間のプログラマにこう言われると癪に障ります。 すべてのキャリアをプログラミングに傾けてきた人々のみならず第一級の趣味にしてきた人々からも、これを時折聞きます。 ただいらだっているのだと、皮肉屋めいているのだと、自覚的な冗句なのだと、理解しています。 しかし頭の中でこう叫ぶのです、君こそがコンピュータに何かをさせているんじゃないか!と。 それは全ての主体性の否定です。
好きじゃないとはいえ、あるいは無味乾燥に見られるやり方とはいえAIを使うこと、なぜならしなければと思っているから。 AIを使うことが正当に好きなら、別の話です。 しかしあまりにも多くのブログ投稿で見かけてきたのは、業務でしぶしぶ使い始めたというわびしさを、どれほど憂鬱であろうともそれが今の新しい現実なのだと綴っているものでした。 チームの人達を管理している或る友人がおり、教えてくれたところでは、彼らは週に50時間以上働いており、AIを使って同企業の他のチームの仕事を抹消しようとしているが、それは恐怖から来ており、やらなければ自分達に回ってくるということでした。
別のものはAnubisです。 みなさん、このポップアップを見たことありますよね? ウェブスクレイピングを抑止するソフトウェアです。 私が使われているのを知っているのは、Linuxカーネルのメーリングリスト、Codeberg、FFmpeg、Wine、それから他のいくつかのところです。
既定の構成でアニメの少女のマスコットになる点で論争する人もいます。 正直そういう人は気の毒です。 この可愛らしさが気障りなほどつまらない、色あせた存在として生きることを想像してください。 きっとケチャップを辛いと思っているのでしょう。
他方で、そうしたソフトウェアを展開することが、その中枢から、鬱々として見られるのは、その「塩土化」の手法によるためです。 計算機的に安価で匿名であるべきであったもの――ウェブサイトの訪問――を、設計から、桁違いに高価なものに変えているのです。 フォーラムのリンクのプレビューを破壊し、バッテリーを枯渇させ、訪問者がJavaScriptを無効にする選択肢を削除し、正当な理由からウェブにアクセスするボットを排除するのです。 それは苦々しく耳元で囁くのです、「勝ち目はない。 猶予された敗北あるのみだ」と、開かれたウェブを戦いもせず明け渡しながら。
次は……私自身です! これは私の、ハッカーニュースでの宣言「このサイトはもうゴミだ」のスクリーンショットで、嘘偽りなく言えばかなり黒い錠剤をのんだ考えです。 どうぞ、遠慮せずに笑ってやってください。 大袈裟なのは、わかっています。 しかしまた、本当のところから来てもいるのです。 私を悲しませるのは、このウェブサイトからかつてかち得た価値が蝕まれつつあることです。
最近見かける別の様式は、人々が幻滅から自由ソフトウェアとオープンソースソフトウェアを諦めることで、とりわけAI企業によるためです。 彼らの言うところでは、「歓びは消え失せた。 もはやコードを共有するつもりはないが、それはただスクレイプされて次のLLMの構築に使われるだけだからだ」、と。 私にとってこれは完全に要点を見失っていますが、その要点とは、労力を結集することが、一般に、ソフトウェアの利用者がそのソフトウェアを制御し続けられることを確かなものにするためなのだということです。 この目的からは、あなたのコードがAI企業に拾われるかどうかはあまり問題でないのです。 第一に問題なのは、高品質な自由ソフトウェアが利用者にとって利用できるかどうかであり、それによりもたらされる競争というのは、プロプライエタリなソフトウェアが強制的であることから遠ざけうる度合いの制限されたものなのです。 コモンズのソフトウェアへの参加をためらうなら、あなたのしていることはむしろ、私達の集合的な主体性を、きたない、中央集権的な権力のもとにさらに明け渡すことでしかないのです。
最後に倫理的な考慮を棄却し「自分がやらなければ、誰かがやる」という言い訳をするものがあります。 内心、決して越えてはならない一線というものがあると私達は知っています。 しかしこうした類の運命論的な思考は道徳の羅針盤を狂わせ信条のため立ち上がる意志を消し去ります。
第4部:信仰
子供のとき両親はプロテスタントのキリスト教を信じるよう育て上げました。選択肢はありませんでした。善悪は抱き合わせで与えられたのです。
成人期に届きつつあるとき、その生い立ちを少しずつ解きほぐし始めました。その過程は「脱信仰」と呼ばれ、多年かかります。人によって、一生涯。似た背景があったり、もっと知りたいと興味がおありなら、こちらの書籍の音声版をお勧めします。著者である、Seth Andrews氏の朗読で、本当によい声をしています。
脱信仰者達が直面せざるを得ない試練の1つは道徳の枠組みを培うことです。善悪を無から導けはしません。試みれば、「我思う故に我あり」で行き詰まるでしょう。哲学的に、これを越えては何もありません。中枢の、根本的な前提を導入することなく証明できるようなものは何も。
私達は科学技術者です。機械を愛しています。
科学技術者として、私達の役割は人類を現在の軌跡に沿って加速させることです。同じ技術は善のための力にも悪のための力にもなり得、誰が抽き出すかに依ります。今日存在する核エネルギーは文字通り、原子爆弾の制御された爆発です。私達の労働の果実とは人類が既に歩んできた路の無差別の増幅なのです。したがって、人類が善ならば、技術は善です。そして人類が悪ならば、技術は悪です。
これこそ、人類は一般に善であると信じなければならない理由です。
さもなければ、私達はそもそも何をしているのでしょう?
こちらはスタニスラフ・ペトロフです。1983年、冷戦のさなか、彼の仕事は攻撃の早期報告システムを監視し直ちに報復を上官へ通知することでした。9月26日に、システムは5発のミサイルが合衆国から発射されたと報じました。素早くかつ批判的に考え、誤警報であることを疑い、命令に背き、追加の確定情報を待つためソビエト軍の手続きを無視しました(出典)。
確定情報が来ることはありませんでした。それは確かにコンピュータの検知システムの誤警報でした。手続きに従っていれば、上官は合衆国に対する強襲のため発射し、全面的な核戦争を引き起こしていた可能性が非常に高いのです。
後のインタビューで、ペトロフの語ったところでは、それが誤警報だという絶対的な確信などしていなかったと。見込みは五分五分だと思ったと言いました。その瞬間にどう感じざるを得なかったか想像できますか?手続きを無視する責を負うというまさに桁違いのリスクを考えていただきたいのです。
五分五分。つまりそのときがやってきたとき、目の前の証拠とは別の何かに基づいて選択を下したのです。人類が善であると信じることを選んだのです。人類への信仰を選んだのです。
第5部:若さ
こちらはNinajirachのデビューフルアルバム『I Love My Computer』のカバーアートです。少し時間を取ってニューロンに浴びてきてください……。
食指が動かされたら、悪いことは言いません、『Infohazard』のミュージックビデオを見に行って、それから戻ってきてください。
……
……
……
お帰りなさい。言った通りでしたよね?!
他の世代にどう響くのかわかりませんが、私のようなミレニアル世代にとって、Ninajirachiのアートにはどこか琴線に触れるものがあります。言葉で書き表せるよう最善を尽くしてみますね。
そこにいるのはいまだにコンピュータの魔法を信じている人です。 彼女が把捉し喚起するそのかけがえのない、なつかしい感情は、私のうちの奥底にあるもの、育つなかでその魔法を自ら見い出しつつあったときより抱いていたものなのです。 しかし彼女はひと世代若いため、映像全体に現代のウェブが見て取れます。 まさにこの記事でYouTubeとDisordをかこちましたが、それらはミュージックビデオで一際目立って取り上げられています。 見咎めたダークパターンを叫ぶことに間違いがあるとは思いませんが、同時に、その途上で何かを喪ってしまったのです。
若者達には困難に由来する知恵が欠けています。 詐欺に陥り、彼らを搾取しようとする企業のバイラルマーケティング戦略へ無批判に参加し、ありそうにないことを信じ、恒久的な害につながりうる危険を冒すのです。 彼らがやってみようとすることどもは、年配からすれば、明らかに失敗するであろうことなのです。 これが、彼らがまだすさんでいない理由です。 彼らの信念体系はいまだこの世界を生きることによる傷跡を残していないのです。 彼らに欠けている克服療法は、同じように幾度となく傷付くのを避けるため年配達が時間をかけて慣らしてきたものなのです。 これは恵みでもあり呪いでもあります。 年配達はこの実世界を生きることにより適合していますが、若者達はそれを変えることにより意欲があるのです。 私達には年齢とともに来る知恵が必要ですが、若さによる盲目の熱意も、何百万回と既に失敗してきたことに再び挑む意志もまた必要なのです。 私達には軛なき楽観主義が必要ですが、それはかつて偉大な都市であった打ち捨てられた廃墟の中にさえ歓びを見出す能力なのです。
『HUNTER×HUNTER』の一場面に、主人公である12歳の少年が冒険へと追い求め、あまりに痛烈な裏切りに直面したことから、敵を打ち負かすために必要な力を獲得するためにその場で10年の歳を取るところがあります。 極めて力強い場面です。 その絶望は耐えるには絶大に過ぎ、克服療法として無感動になり果てるとき、彼の体は文字通り大人へと変貌するのです。 その一刹那が描き出すのは、通常は徐々に時間をかけて私達に起こることなのです。
上の世代として、私達のすべきことは、若者の純朴さを悪用するであろうものから盾として身を挺し、我々に積み重なってきた痛みと冷笑主義に感染させないようにすることなのです。
私から残すこの最後のメッセージは、全ての年齢の人々に向けたものです、私より若かろうと、同輩であろうと、年配であろうと。
ただ服して横たわることはありません。
またもし孤独を感じるようなら、味方を思い返してください。 VideoLAN Organizationを、 Blender Foundationを、 Software Freedom Conservancyを、 Electronic Frontier Foundationを、 Linux Foundationを、 Signal Foundationを、 KDE e.V.を、 PostgreSQLコミュニティを、 Debianコミュニティを、 あまりに、あまりに多くの仲間達を。
ギリシャのような遥か遠くの場所からも、「ソフトウェア率なく動くべし」という単純な声明によるカンファレンスの発会のために、どれほど熱意ある人々が集ったかに目を向けさえすればいいのです。
「僕の時代にこんなことが起きることなんてなかったのに」とフロドは言いました。
「そうじゃな」とガンダルフは言った。 「こうした時代を生きて目にする誰しもがそうじゃ。 だがそれはわしらの決めることではない。 決めねばならんのは、与えられた時代で何をするかということなのじゃ」
J・R・R・トールキン『指輪物語 旅の仲間』より
強制ウェアとの闘いは始まったばかりであり、好むと好まざるとその最前線にいることに気付きますが、それは私達こそがコンピュータにそれらのなすことをさせているからです。
しかし私達は孤独ではなく、コンピュータはまさしく魔法です。 失われた地を失われた希望と思い違ってはなりません。 団結して信じ、賭けることを選ぶなら、これに勝つことはできるのです。
全てを賭してこそ。